「うち、ユニバ嫌いやねん。」ある女子中学生のひと言で気づかされたこと。
学習塾のための教育コーチング、
Edcoac(エドコアック)代表のおきつです。
ユニバ批判の内容ではないので悪しからず。。。
当塾に入塾してまだ1週間の、
関西に住んでいる生徒さんが言っていました。
「私の友達は、みんなユニバの年パス持ってるんです。
学校がユニバに近いんで。
学校の先生も、そのこと知ってて
よくユニバの話を授業中にしているんです。
でも私、ハリーポッターとか見たことないし
友達に誘われて行ったことあるけど
入場料高いだけで何が楽しいか分かんなかったんです。」
ある言葉・事柄に対するイメージは人それぞれです。
『ユニバ』と聞いてテンションが上がる人がいるなら、
下がる人もいます。
ユニバの話をすれば盛り上がるだろう。というような、
偏ったイメージしか持ち合わせていないと
思わぬところで相手にマイナスの感情を
抱かせてしまうこともあります。
テンションの上がり下がりだけで済むならいいですが、
それでは済まないケースも。。
今回は、そんな偏ったイメージがもたらした
生徒が抱いたネガティブな感情のお話です。
Table of Contents
「ユニバ」=「楽しい」が全てだという錯覚
何事も、「全て」や「絶対」がないように
ある言葉・事柄に対して、共通のイメージはありません。
正確に言うと、共通イメージがある場合も存在するのですが
ないものと考えた方が良いです。
例えば、
「コーヒー」と聞いて、どういうイメージを持ちますか?
去年までの僕だったら
「苦い」「くさい」「まずい」
といった、ネガティブなイメージしかありませんでした。
しかし、今年に入っておいしいコーヒーに出会えました。
地元にあるただいまコーヒーというお店のコーヒーです。
オーナーがとても気さくな方で、つい行きたくなっちゃうお店です。
ただいまコーヒーと出会ってからは、
カフェに行ったらコーヒーを飲むようになり
作業中でもコーヒーを飲むようになりました。
今、僕のコーヒーに対するイメージは、
「おいしい」「落ち着く」「いつもの」
のようなポジティブなイメージに変わりました。
このように、同じ人でも
タイミングによって、言葉に対するイメージが変わります。
ということは、違う人であれば
言葉に対するイメージは同じなわけがないですよね。
話が少しそれましたが、ユニバの話に戻しましょう。
冒頭にお話しした生徒さんの学校では、
「ユニバ」に対してポジティブなイメージを持った生徒がほとんどだそうです。
マジョリティであることは間違いないですが、
「ほとんど」=「全て」
と勘違いしてしまった先生がいたようです。
条件英作の問題で、ユニバについて出題された
学校の英語の授業で、
英語担当の先生が授業の中で
自作の英作問題を出されたそうです。
それがユニバについての英作だったそうです。
しかもそれには条件がありまして、
「お母さんがユニバ―サルスタジオジャパンに
あなたを連れて行ってくれることになりました。
その時の感謝の気持ちを
『Thanks for』に続く形で英語で書きましょう。」
という問題だったそうです。
その話を生徒さんが僕にしてくれたあと、
「私にとっては、NO THANKS FORなんです。」
と言っていました。
そのとき、寂し気な笑顔をしていたのが印象的でした。
なんとか自分に嘘をついて、
無理やり感謝の文章を作ったそうですが
その一件で、余計ユニバが嫌いになったそうです。
自分自身の偏ったイメージを捨てる
あなたが持っているイメージは
全て偏ったイメージだと思ってみてください。
そのイメージがマジョリティであっても、
マイノリティであっても。
自分のイメージを捨てて、生徒さんと接すると
今までと違ったセリフが出てくると思います。
冒頭に書いた、生徒さんのセリフを
もう一度確認していただきたいです。
実はこのセリフの前に、もう少し会話がありました。
僕「明日休みだけど、どこか行くの?」
生徒「友達にユニバ誘われたんで行ってきます。」
僕「ユニバ行くんだ!誘われたときどんな気持ちだった?」
生徒「んーー。とりあえず行くって感じです。」
この後に、冒頭のセリフが出てきました。
もし僕が、「ユニバ=楽しい」という
イメージを持ったまま接してしまっていたら
「おー!よかったじゃん!楽しみだね!」
と言ってしまっていた気がします。
もしそんなことを言ってしまっていたら
(この先生も私のことを分かってくれないんだ。)
という感情を与えてしまっていたかもしれません。
コーチングを学んでいたからこそ
出てきたセリフ。
些細な会話かもしれませんが、
こんなところから信頼関係が構築されていくんですね。
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